閉じる

肉体がAIに勝った日──映画『ミッション:インポッシブル/ファイナルレコニング』を観て

ドルビーシネマで観てきました。拳を握るような緊張と、全身を突き抜けるような感動。これは映画というよりも、体験でした。

■ 肉体が主役。デジタル時代への痛烈なカウンター

本作で最も強く印象に残ったのは、「肉体」でした。AIという現代的なテーマを背景にしながらも、圧倒的にアナログで、リアルな人間の動きがスクリーンを支配していました。

例えば、プロペラ機のアクションシーン。旋回のたびに、トム・クルーズが羽にしがみついて落ちそうになる――その緊張感に、私は思わず拳を握りしめました。あの質量、あの汗、あの必死さ。どんなCGでも再現できない「本物の肉体の説得力」でした。

■ 海底ミッション、プロペラ機、そしてトムの限界

複葉機のシーンは、まるでバスター・キートンの現代版でした。ユーモアと危険が隣り合わせのアクション。静と動のメリハリ。映画という芸術がもつ“体感性”を極限まで研ぎ澄ませた時間でした。

さらに海底ミッション。息を止め、暗闇の中で動き、キーを挿して起動する……どこまでもアナログ。ハードディスク、USB、ウィルス感染……すべて“物質”としての存在が強調され、そこに「リアルな手触り」が宿っていました。

■ AIの存在感は意外なほど薄かった

「AIが敵」と言われていた今作ですが、実際にはほとんど印象に残りませんでした。序盤に、イーサンが日焼けマシンのような装置に入って脳にアクセスする場面はありましたが、それ以降は、AIが物語を主導する場面はほとんどなし。むしろ「AIの不在」が際立っていた印象です。

逆説的に、物質と人間の身体が主役になることで、「非実体」としてのAIの空虚さを浮き彫りにしていたのかもしれません。

■ 死別、そして別れ。導火線に火はつかなかった

前作ではイルサ、今作ではルーサーが命を落としました。どちらも、イーサンにとって大切な仲間でした。それでも物語は続き、終盤ではそれぞれが無言で、別々の方向に歩いていく。

通常なら、ここで導火線に火がつき、「MISSION: IMPOSSIBLE」の文字がスクリーンに浮かぶはず。でも、今回はそれがなかった。それは「終わり」の予感であり、同時に「静かな感謝」のようでもありました。

■ ありがとう、トム・クルーズ

60歳を超えても、肉体の限界に挑み続けるトム・クルーズ。その姿に、私はただただ感謝したい。「映画とは、感じる芸術であり、命をかける演技」――この作品は、それをまざまざと見せてくれました。

スクリーンの中のトム・クルーズは、AI時代の今だからこそ「本物の肉体の力強さ」を証明してくれた。リアルタイムでこの作品を、大きなスクリーンで観られて本当に良かった。

■ 結び:これは“終わり”ではなく、“受け継ぐ火”だ

火花の出なかった導火線。それでも、観客の心には火が灯っている。それが、きっとこの映画が最後に伝えたかったメッセージ。

ありがとう、『ミッション:インポッシブル/ファイナルレコニング』。ありがとう、トム・クルーズ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *