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『ケモノの城』読了:日常の隣に潜む「ケモノ」の城で、人間性はどこまで剥ぎ取られるのか

誉田哲也さんの衝撃作『ケモノの城』を読み終え、今、深く重い読後感に包まれています。この小説は、かつて日本で実際に発生した「北九州連続監禁殺人事件」をモチーフにしていることで知られています。ある家族が加害者によって長期にわたり監禁・洗脳され、内部で凄惨な虐待と殺人が繰り返されたという、社会に大きな衝撃を与えたあの事件を背景に持つこの作品は、単なる犯罪小説の枠を超え、人間の心理の闇、そして異常な状況下でいかに人間性が剥ぎ取られていくかを生々しく描いています。

私がこの物語に特に引き込まれたのは、警察の取り調べ室で語られる被害者たちの「独白」でした。それは聞けば聞くほど胸が締め付けられ、読者である私たちに言いようのない苦しみと恐怖を与えてきます。そして、物語が進むにつれて明らかになる「ケモノの城」の全貌は、まさに地獄絵図そのものでした。

なぜ、彼らは「オートマトン」と化したのか?:洗脳のメカニズムの恐怖

『ケモノの城』の最大の恐ろしさは、登場人物たちが特定の人物によって、感情や意志を失った機械人形(オートマトン)のように変貌していく過程が克明に描かれている点にあります。彼らはなぜ、自らの意志決定能力を奪われ、その人物の望むままに動く存在になってしまったのでしょうか?

小説で描かれるその人物の洗脳は、以下の巧妙かつ執拗な手口によって行われます。

  • まず、被害者たちは物理的にマンションの一室に閉じ込められ、外界から完全に遮断されます。外部からの情報、特に支配者にとって都合の悪い情報が徹底的に排除されることで、彼らは支配者の歪んだ世界観のみに晒され、正常な判断基準が麻痺していきました。
  • 次に、その人物はターゲットの自己評価を徹底的に破壊します。屈辱的な言動を強いたり、ペンチを使った肉体的拷問(例えば、通電の刑など、想像を絶するような行為)を繰り返したりすることで、ターゲットの自己肯定感を根こそぎ奪い去ります。「お前は価値のない人間だ」「お前が悪い」といった言葉を浴びせ続けられることで、被害者たちは自分自身を信じられなくなっていったのです。私の読書中も、そのむごさから「痛そうでゾッとする」感覚に襲われ、背筋が凍る思いでした。
  • さらに恐ろしいのは、恐怖と依存のサイクルを作り出すことです。常に身体的・精神的な恐怖を与え続ける一方で、時には一見「優しい」一面を見せることで、被害者に「彼がいなければ生きていけない」「彼だけが自分を救ってくれる」という絶望的な依存心を植え付けます。
  • そして最も巧妙で、読者に衝撃を与えるのは、「自分で決めさせた」という虚構の自由です。支配者は自ら手を下すことをせず、被害者たちに「選択」させることで、彼らに罪悪感と共犯意識を植え付けます。例えば、遺体処理を強制される場面などでは、直接命令せずとも、状況を操作して被害者自身に「決断」をさせることで、精神的な逃げ場を完全に奪い去っていきました。

これらのメカニズムが複合的に作用することで、被害者たちは「脳の働きが完全にストップしてしまい、感情はなくなる」、まさに支配者に反応する「オートマトン」へと変貌を遂げてしまうのです。

「淡々とした語り」が示す感情の麻痺:歪んだ日常の恐ろしさ

『ケモノの城』で読者を戦慄させたのは、被害者たちが自身の受けた凄惨な経験や、自らが犯した行為を、まるで他事のように「淡々と」「当たり前のように静かに語る」描写でした。通常であれば感情が爆発するような内容が、感情を排したかのように語られることで、その異常性がかえって際立ち、読者の想像力を掻き立て、より深く心に刻まれます。例えば、家族を殺め、その遺体を処理するという極限の状況においてさえ、感情をほとんど見せずに「処理する」姿は、彼らが感情そのものを麻痺させることでしか、あの地獄を生き延びられなかったことを示唆しています。

そして、その「異常」が「日常」と化していく様は、私の心にも強く残りました。「昼間は働きに出たり金策したり閉じ込められたりしているのに、夜にはみんなで酒盛りをする」という描写が、その極致です。この酒盛りは、単なる団らんの場ではありませんでした。それは、支配を再確認し、被害者間の共犯意識を深めるための「服従の儀式」としての役割を果たしていたのです。昼間の地獄と夜の偽りの共同体がシームレスに繋がることで、彼らは自分たちが置かれている状況がいかに異常であるかを認識する能力すら失っていきました。このとんでもない異常さには、ただただ震え上がりました。

「自分も加害者になっているから誰も逃げられない」:逃げ場なき心理的監禁

この物語が突きつけるもう一つの根源的な恐怖は、被害者たちが「自分も加害者になっているから誰も逃げられない」という絶望的な状況に追い込まれていく点です。支配者は、被害者自身を犯罪に加担させました。例えば、娘が父親に、あるいは姉妹が母親に手を下すことを強いられる場面は、家族という最も根源的な絆や倫理観がねじ曲げられていく様を描いており、その悲惨さに言葉を失います。

物理的に監禁されているだけでなく、精神的にも完全に囚われ、自らの行為の罪悪感、そして共犯者としての意識によって、外部への発信や逃走が不可能になっていくのです。彼らは、たとえ逃げ出すチャンスがあったとしても、「彼がいなければ生きていけない」と心底から信じ込まされ、また、自身の犯した「罪」によって外の世界に出る発想すら持てなくなってしまっていたのでしょう。この「逃げ場がない」感覚こそが、この物語の最も深く、読者の心を蝕む部分です。辰吾のパートで彼が「ケモノの城」へと足を踏み入れていく場面では、読者として「辰吾!行くな、行くな!」と、もどかしくも止められない焦燥感に駆られました。

結論:日常のすぐ隣にある「ケモノの城」への警鐘

『ケモノの城』は、人間の心理がいかに脆弱であり、いかに巧妙な洗脳によってその尊厳が踏みにじられていくかを生々しく描いた作品です。物語の終盤で、ある人物が語った「理由のない悪意を持つ人間は『ケモノ』である」という言葉は、私の心に深く刻まれました。親の育て方や環境といった、一般的な犯罪の動機を超越し、ただただ人間を獲物としか見ない存在の恐怖。

私たち読者がこの物語から得るべきは、フィクションの中の出来事として片付けるのではなく、「闇が日常のすぐそばにあると想像すると怖い」という、現実への警鐘です。例えば、飲み屋で知り合った人と意気投合して家に招かれてみたら、そこが「ケモノの城」だった、ということが必ずないとは言い切れません。サイコパスほど人を惹きつける能力を持っているという事実を鑑みると、その恐怖はさらに増します。

この作品は、そのような「人間を獲物にするケモノ」の存在と、彼らがいかにして人を「オートマトン」へと変えていくのかを深く問いかけています。

この物語を読んだあなたは、何を感じ、何を考えましたか? そして、あなたの日常のすぐ隣に潜む「ケモノの城」の影に、どのように向き合いますか? この衝撃的な読書体験を通して、ぜひ一度、あなた自身の心と向き合ってみることをお勧めします。