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光と影が織りなす「リアルな青春」:赤頬思春期「TO MY YOUTH」が心の奥底に響く理由

音楽を聴いて、なぜだか心が締め付けられたり、胸が熱くなったりする感覚、ありませんか? 私は、まさにそういった「エモい曲」が大好きなんです。特に、韓国のインディーシーンで圧倒的な存在感を放つ赤頬思春期 (BOL4)の楽曲には、心を揺さぶられる瞬間がたくさんあります。透明感あふれるアン・ジヨンさんの歌声と、心に寄り添うようなメロディは、彼女たちが「音源女王」と称される所以でしょう。

赤頬思春期は、もともとアン・ジヨンとウ・ジユンのデュオとしてデビューし、現在はアン・ジヨンさんのソロプロジェクトとして活動を続けています。2025年6月現在も精力的に活動中で、来たる9月には日本での来日公演も決定しているほど、その人気は健在です。

そんな赤頬思春期の数ある名曲の中でも、私が今回特に深く掘り下げたいのは「TO MY YOUTH」です。この曲を初めて聴いた時、あなたは「青春映画やドラマを観ているよう」だと感じたそうですね。私も同じように、どこか甘酸っぱく、ノスタルジーを感じる楽曲だと思っていました。しかし、その歌詞に込められた「重さ」を知った時、私の心にはこれまでとは全く異なる、強烈な感情が押し寄せたんです。そして、その「光」と「影」のコントラストこそが、私が「エモい曲」に惹かれる理由、そして「TO MY YOUTH」がこれほどまでに心を揺さぶる理由なのだと確信しました。


「消えたい」と願った日々と、私の心に深く響く「闇」

この曲の冒頭に触れた時、私は思わず息をのみました。

언젠가 나도 이 세상에 사라지길 바랬어
(いつだったか、私は自分がこの世界から消えることを願ったの)
온 세상이 너무나 캄캄해 매일 밤을 울던 날
(世界があまりにも真っ暗で毎晩泣いていた日々)
차라리 내가 사라지면 마음이 편할까
(いっそ消えてしまえば楽になれるのかな)

これほどまでに生々しい絶望が歌われているとは、正直想像していませんでした。「青春」という言葉から連想されるキラキラしたイメージとは真逆の、真っ暗な闇。毎日涙に暮れる日々。この痛々しい描写は、私たちが人生の中で経験する、誰にも言えなかった孤独や、出口の見えない苦しみを代弁しているようでした。なぜこんなにも心を締め付けられるのかと思ったら、それは私自身の心の奥底にある、同じような感情と共鳴したからだと気づかされたんです。

사랑 받을 수 없었던 내가 너무나 싫어서
(愛されることができなかった自分が大嫌いで)
모두가 날 바라보는 시선이 너무나 두려워
(私を見つめるみんなの視線がすごく怖いの)

この歌詞は、自己肯定感の低さや、他者の視線に怯える私たち自身の姿を映し出しているように感じます。理想の自分と現実の自分、そして周囲からの期待。そのギャップに苦しみ、自分を嫌いになってしまう感情は、多くの人が青春期に、あるいは大人になってからも抱える普遍的なものなのではないでしょうか。

엄마는 아빠는 다 나만 바라보는데
(ママも、パパも、私だけを見つめているけど)
내 마음은 그런 게 아닌데 자꾸만 멀어만 가
(私の心はそうじゃないのに、どんどんすれ違ってしまうの)

親からの愛情という「光」を感じながらも、心の内では別の感情が渦巻いている。期待に応えられない自分への苛立ち、本当の自分を理解してほしいという切実な願い。そして、それが「しきりに遠のいていくばかり」だという無力感。この「青春の戸惑い」が、まさにこの曲が持つ「エモさ」の根源なのだと、改めて腑に落ちました。


「オットケ」に込められた、もがきと再生の叫び

曲の冒頭、静かなピアノソロと囁くような歌い出しは、歌詞の「重さ」を知った今、まるで心の奥底に秘められた、誰にも言えなかった孤独な痛みが、そっと語り始められるような印象を一層強く受けます。そして、心臓の鼓動のように繰り返されるこのフレーズ。

어떡해 어떡해 어떡해 어떡해
(どうしよう どうしたらいいの)

このシンプルな問いかけの裏には、「いっそ消えてしまえば楽になれるのかな」「愛されることができなかった自分がすごく嫌いで」「私の心はそうじゃないのに、しきりに遠のいていくばかり」といった、切羽詰まった心の叫びが隠されていました。私がこの「オットケ」に感じた「自分の感情に対する問いかけ」は、まさにこの歌詞の真髄を捉えていたんですね。自分自身の存在、感情、そして他者との関係性に対する、どうしようもない戸惑いや絶望が、このたった一言に凝縮されているように感じます。

しかし、「TO MY YOUTH」は絶望で終わる曲ではありません。

시간이 약이라는 말이 내게 정말 맞더라고
(時間が薬だという言葉が私には本当にぴったりで)
하루가 지나면 지날수록 더 나아지더라고
(月日を重ねるにつれて、よくなっていったの)

この歌詞が提示するのは、痛みを乗り越えようとする、かすかながらも確かな意志です。時間の経過が、少しずつ心の傷を癒していく。その現実的な描写に、私は大きな救いを感じました。

근데 가끔은 너무 행복하면 또 아파올까 봐
(だけど時々、幸せすぎたらまた辛くなるんじゃないかって)
내가 가진 이 행복들을 누군가가 가져갈까 봐
(私が手にしたこの幸せが誰かに奪われてしまうんじゃないかって)

それでも、一度深い傷を負ったからこそ抱く、幸せが失われることへの根強い不安。この複雑な感情の揺れ動きを、曲が進むにつれて伴奏と歌唱が「分厚くなる」ことで表現していることに、私は深く感動しました。これは単なる絶望ではなく、希望と不安が同居する、より現実的な「青春の強さ」を映し出しているのだと思います。


痛みを超えて見出す、私自身の「光」

そして、この曲の最も感動的な部分は、後半で語られる希望に満ちたメッセージです。

그래도 난 어쩌면 내가 이 세상에 밝은 빛이라도 될까 봐
(それでも私は、もしかしたら私がこの世界で明るい光にでもなれるんじゃないかって)
어쩌면 그 모든 아픔을 내딛고서라도 짧게 빛을 내볼까 봐
(もしかすると、その痛みすべてを乗り越えてでも、一瞬の輝きを放てるんじゃないかって)
포기할 수가 없어
(諦められないの)

この力強いフレーズに、私は胸を打たれました。過去の痛みすべてを乗り越えて、たとえ「短い光」であっても、自分が存在することに意味を見出そうとするその姿は、私たちに静かな勇気を与えます。それは、誰かのためというよりは、自分自身の存在意義を見つけるための、切なくも力強い決意のように響くんです。

하루도 맘 편히 잠들 수가 없던 내가 이렇게라도 일어서 보려고 하면
(1日だって安らかに眠れなかった私がこんな風にでも立ち上がってみようとしたら)
내가 날 찾아줄까 봐
(私が私を見つけてくれるんじゃないかって)

この歌詞は、まさに自分自身を救うための旅であり、困難な状況から自らの力で光を見出し、未来を切り開こうとする普遍的な勇気を私たちに与えてくれます。自己嫌悪の闇から、「自分自身」を救い出し、見つけ出す――その過程こそが、この曲が描く「心の成長物語」の核心なのだと、私は強く感じました。

얼마나 얼마나 아팠을까
(いったい、どれだけ苦しかったのかな)
얼마な どれだけ苦しかったのかな
(いったい、どれだけ辛かったのかな)
얼마나 얼마나 얼마나 바랬을까
(いったい、どれだけ、どれだけ、願ったのかな)

最後のこの問いかけは、私たち自身の心の奥底にある、言葉にできない感情にも深く問いかけてきます。赤頬思春期が「TO MY YOUTH」で描いているのは、単なる過去の甘い記憶ではありません。それは、未熟さや愚かさ、そして深い孤独や自己嫌悪といった「影」の部分を含めて過去の自分を肯定し、それでも未来へ向かおうとする心の成長物語です。

私が「エモい曲」に惹かれるのは、きっとこのような「光」と「影」、そしてその狭間にある人間の複雑で美しい感情を、音楽を通して感じ取り、共鳴したいという心の表れなのだと思います。赤頬思春期の「TO MY YOUTH」は、そんな私の感性に深く響き、そして「それでも大丈夫だ」という静かな勇気を与えてくれる、かけがえのない一曲となりました。

ぜひヘッドホンで、この楽曲が紡ぎ出す繊細で力強い心の物語に、もう一度じっくりと耳を傾けてみてください。きっと、あなた自身の心の奥底にある光を見つけるヒントになるでしょう。

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