音楽の「地図」を手に入れる——『音楽の進化史』第1章が教えてくれたこと

📅 2024年3月21日 📂 読書メモ・音楽史

読書
『音楽の進化史』ハワード・グッドール著の表紙画像
音楽の「地図」を辿る旅がここから始まる

私は昭和の歌謡曲も、最新のヒット曲も、同じ熱量で楽しんでいます。世代を超えて人を揺さぶる音楽の魅力に、いつも心を動かされてきました。

でも、ふと気づいたのです。私たちが「当たり前」のように音楽を聴けるようになったのは、蓄音機が発明されてからまだ100年ちょっとしか経っていない。それなのに、音楽は芸術の一大ジャンルとして確固たる地位を築いている——これって、よく考えたらすごいことじゃないか、と。

私が日々感じている音楽の魅力を、断片的な「好き」で終わらせたくない。もっと普遍的な「地図」として捉えられたら、音楽への解像度がもっと上がるんじゃないか。日本や世界の音楽のルーツを体系的に学びたい——そんな想いで、ハワード・グッドール著『音楽の進化史』を手に取りました。

そして第1章を読み終えた今、この本は私が求めていた「地図」そのものだと確信しています。


第1章:4万年の沈黙を破った「記録」という革命

音楽は、数万年間「消えていた」

音楽史は、1995年にスロベニアで発見された約4万年前の「骨の笛」から始まります。ネアンデルタール人が作ったとされるその笛には、指穴が開けられていました。人類は文明を持つはるか前から、すでに「音階」を求めていたのです。

でも、ここからが衝撃的でした。

その笛の音から11世紀までの数万年間、音楽は「再現性のない一過性の現象」でしかなかったのです。

どんなに美しい旋律も、演奏者の死とともに永遠に消えていきました。古代ギリシャのピタゴラスは弦の長さの比率(2:1でオクターブ、3:2で五度)という物理法則を発見していましたが、それでも「音そのもの」を記録する術にはなりませんでした。

音楽は、数万年もの間、過去へ遡ることのできない「空の記憶」だったのです。


11世紀の奇跡:グイド・ダレッツォが開いた扉

グイド・ダレッツォの像

音楽の革命児、グイド・ダレッツォ

「ド」を、どうやって伝えますか?

想像してみてください。あなたが「ド」の音を、まだ聴いたことのない人に伝えなければならないとしたら、どうしますか?

11世紀以前、音楽教師たちはまさにこの絶望と戦っていました。師匠の歌を何度も聴いて覚えるしかなく、聖歌の習得に10年かかることも珍しくなかったといいます。

この状況を一変させたのが、修道士グイド・ダレッツォでした。彼の発明は二つあります。

  • 一つ目は「五線譜」
    グイドは水平な線を引き、その上に音符を置くことで、音の高さを絶対的な「位置」として固定しました。これは現代で言えば、プログラミング言語が標準化されたような革命です。
  • 二つ目は「階名」
    聖ヨハネ賛歌の各句の頭文字から「ウト・レ・ミ・ファ・ソ・ラ(現在のドレミの原型)」を考案。不可視の音に「名前」をつけることで、誰もが音を共通言語として扱えるようにしました。

この二つの発明によって、聖歌の習得期間は10年から1年へと短縮されました。音楽は、ついに「記録できるもの」になった——人類の音楽史における、最大の転換点です。


記録が可能になったことで起きた「爆発」

垂直と水平への進化

記録が可能になると、音楽は「人間の記憶の限界」から解放され、一気に複雑化していきました。

■ 垂直方向(ハーモニー)への拡張
聖歌隊に少年たちの高音が加わったことで、従来の男性の音域をはるかに超える「三オクターブ」という広大なキャンバスが生まれ、音楽は立体的(ポリフォニー)になっていきました。

■ 水平方向(リズム)の輸入
十字軍がイスラム圏から持ち帰った「ウード」や打楽器は、西洋音楽に数学的な拍動をもたらしました。音楽は「歌」である以上に、緻密な論理に基づく「音の建築物」へと変貌していきました。


印刷術との合流——音楽が「人類共有の財産」になった瞬間

完璧なコピーが可能になった

15世紀後半、オッタヴィアーノ・ペトルッチが世界で初めて活版印刷による楽譜を出版しました。これにより、一人の天才が書いた「設計図」が、一音たりとも狂わず歴史へと刻まれるようになりました。

音楽は一部の聖職者の手から離れ、人類共有の「知の財産」へとアップデートされたのです。


「心地よさ」の発見——三和音がもたらした救い

神の秩序から、人間の心へ

かつて教会が認めていたのは、数学的な比率に基づく「完全四度」や「完全五度」といった響きでした。これらは「神の秩序」を体現する、冷たく空虚な音でした。

しかし15世紀頃、そこに一つの音が忍び込みます。「三度」です。

これこそが、私たちが今「ドミソ」と聴いて思わず微笑んでしまうような、温かく豊かな「三和音」の誕生でした。

中世ヨーロッパの街並みと、そこで生活する人々の挿絵

厳しい現実の中で、人々は音に「救い」を求めた

厳しい現実を照らす、新しい光

15世紀のヨーロッパは、ペスト、戦争、飢饉——人々は常に死と隣り合わせでした。そんな人々の耳に、三和音の響きが届いた瞬間を想像してみてください。

三和音は、神の厳しい掟を守るための音楽ではなく、苦しみの中で生きる人々の心を、ほんの一時でも救い出す音楽として受け入れられたのです。

「構造」という冷たい骨組みに、ついに「肉体」が宿った瞬間——音楽は人間の感情に直接語りかける「救いの場所」へと進化したのです。


この章が教えてくれたこと

私がこの第1章から受け取ったのは、音楽が決して「天から降ってきた才能」でも「感性の偶然」でもなく、無数の人々による執念深い技術革新と、「救い」を求めた祈りの積み重ねだったという事実です。

音楽は、技術と祈りが交差する場所で進化してきました。

私たちが今、音楽に心を躍らせるのは、数万年かけて磨き上げられた「音の構造」と、人々が求め続けた「心地よさ」が、私たちの脳と心を完璧にハックしているからなのかもしれません。

私が求めていた音楽の「地図」は、少しずつ、でも確実に、輪郭を現し始めています。

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